若さ(馬鹿さ)ゆえに辞めちゃったおはなし
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大学では視覚伝達デザインを専攻していたので、多くの友人は、企業に就職をきめた。
私は、期限に追われ納期に追われ、真っ白な頭から何かを生み出す才能もなかったので美術の先生を目指していた。
最初に赴任されたのは特別支援学校で、それは私の第一希望だった。
教育実習で特別支援学校に行ったとき、ここで絵を描くことを教えてみたい!と。
まだ二十歳そこらでキラキラしてた私は、障がい者教育に燃えた。
実際赴任されてみて、本当に生徒はかわいく。といっても、中等部と高等部なのでかなり大人だったけど。
一生懸命指導案書いても、学年主任から却下されることも多くこころが折れた。
担任も持たされたので、家庭訪問から何から、この前学生だった私には、責任が重かった。
美術教師なんていわば何でも屋で、行事のたびにポスター、垂れ幕、一人学校に残って深夜まで作ったこと。
今になれば、そんなこと、難なく乗り越えられるような事ばかりなのに、若かった...。その一言。打たれ弱かった。
なんで辞めたんだろう。
職員室の机の引き出しを開けたら、小さなアオガエルがぴょんぴょん飛び出してきて驚いたことがあったな。
鬱気味になって笑うことも出来なくなった私に、可愛いイタズラ的サプライズをよくしてくれた。
生徒に助けられてばかりだった。